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【保存版】山形県は即身仏が日本一多い! 正体や誕生した理由 まとめ

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みなさんは「即身仏」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。仏教に詳しい人なら耳にしたことがあるかもしれませんが、あまりメジャーなワードではないと思います。

今回は山形県に来たらぜひお参りしてもらいたい、心優しい仏様「即身仏」について、誕生の背景やどこで参拝できるかを紹介していきます!

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即身仏とは?

即身仏とは、命耐えるまで厳しい修行を続け、自ら仏となった僧侶のことです。一般的に仏像は木や石、金属などの素材から作られていますが、即身仏は【即ち身が仏】と書く通り、体そのものが仏さまになっています。

ミイラと即身仏の違い

即身仏をミイラと考えている方もいますが、ミイラとはまったくの別物です。ミイラは亡くなった後に他者によって内臓を取り出され、防腐・乾燥などの加工が施されますが、即身仏は生きながら仏となるために過酷な修行を行い、最後には自ら漆を飲みます。

目的も違い、ミイラは自分が生き返るために身体をミイラにしますが、対して即身仏は永久に人々を救い続けるという強い願いを持って即身仏となります。

山形県は即身仏が多く現存している

日本全国には全部で17体の即身仏が現存していますが、そのうちなんと8体が山形県内でお祀りされています。日本の半数以上の即身仏が山形県にいるのは興味深いですよね。

即身仏が誕生した経緯

山形県に現存している即身仏の多くは江戸後期に即身仏となっています。

江戸後期は繰り返す飢饉や疫病、災害などに民が悩み苦しんでいた時代でもあるため、民衆を救うために僧侶たちは命と引き換えに仏となることを選びました。人々の永遠の救済と安寧を願い、願いを叶えるための究極の祈りの形が即身仏です。

即身成仏になるための修行はあまりにも過酷

即身仏になるためには苦行としかいえないような修行に長く耐える必要があります。

初めに米、大麦、小麦、小豆、大豆の五穀を1000日間断ちます。次には五穀に加えてに粟、稗、蕎麦、とうもろこし、きびを加えた十穀を1000日絶ちます。十穀断ちの間に食べるものは木の実、木の皮、木の根、草などです。こうすると脂肪が無くなり、死んでも腐敗しなくなります。

最後には内臓が腐らないように自ら漆を飲んだ後、石室に閉じこもります。そこで命耐えるまで断食をしながらお経をあげ続けます。生存している間は合図として鈴を鳴らします。

その鈴が鳴らなくなってから1,000日後、弟子たちが石室から掘り出して初めて即身仏として祀られます。

山形県は全国で最も即身仏が多く安置されている

山形県には8体の即身仏がお祀りされています。山岳信仰の聖地、湯殿山信仰が即身仏と深いかかわりがあるためです。

山形県に祀られている即身仏には皆【海】の字が入っていますが、これは湯殿山神社を開山した弘法大使空海に由来するものです。

本明海上人 本明寺(鶴岡市東岩本)

1683年に入定。
本明海上人はもともと地元庄内藩の武士でした。藩主の病気平癒祈願をきっかけに仏門に下りました。

庄内地方で最も古い即身仏とされ、続く僧侶や地方一帯の即身仏信仰に大きな影響を与えたとされています。拝観は事前に問い合わせが必要です。

本明寺へのアクセス

忠海上人 海向寺(酒田市日吉町)

1755年入定。
海向寺一代目住職。もとは下級武士の生まれとされています。明治に起きた大地震で詳細な資料は失われていますが、世の人の苦しみを救うために入定されたということに間違いはありません。

入定後に燻され、さらに柿渋を塗布されているので他の即身仏より黒いのが特徴です。

海向寺へのアクセス

円明海上人 海向寺(酒田市日吉町)

1822年入定。
忠海上人と同じく酒田市の海向寺に祀られています。海向寺は日本で唯一2体の即身仏が奉られているお寺です。

円明海上人は海向寺の九代目住職。羽黒山で修業を積み山伏となった後即身仏になられています。

海向寺へのアクセス

真如海上人 大日坊(鶴岡市大網)

1783年入定。
若いころに子供を事故で死なせてしまったことを悔い、弔いのために荒行の道へと進みます。托鉢や荒行を繰り返しながら、当時としては異例ともいえる96歳まで生きたとされています。

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湯殿山総本寺瀧寺大日坊へのアクセス

鉄門海上人 注連寺(鶴岡市大網)

1829年入定。
もともとは悪党でしたが、喧嘩の末武士を殺してしまったことを機に21歳で帰依。その後東北を中心に北海道から四国まで全国各地を行者として周り、多くの人を救ったとされています。

当時江戸で流行していた眼病快癒のために自ら左目をくりぬいたという逸話から恵眼院という別名も持ちます。全国各地に鉄門海、あるいは鉄門海上人と書かれた石碑が200近くありますがこれは全国で鉄門海上人が市井の人を助けた証です。

注連寺へのアクセス

鉄龍海上人  南岳寺(鶴岡市砂田町)

1881年入定。
鉄龍海上人の没年は昭和中ごろまで1867年、つまり明治元年とされてきました。明治以降即身仏になることは法律上一種の自殺とみなされ、弟子たちが自殺ほう助や墳墓発掘の罪に問われてしまうようになったためです。

それでも鉄龍海上人は明治以降の世の平穏平和を願い即身仏となりました。弟子たちは秘密裏に石室から発掘し、奉り続けてきました。

南岳寺へのアクセス

光明海上人 蔵高院(西置賜郡白鷹町黒鴨)

1854年入定。
光明海上人は若いころ猟師だったということしか判っていません。生前は一般の行者だったようです。1000日後ではなく、100年後に石室を開けるよう言い残し入定されました。

100年のあいだには所縁の集落の全焼や親類滅絶などがありましたが、124年後に町の人から無事発掘され、その後蔵高院に祀られています。

蔵高院へのアクセス

明海上人 明寿院(米沢市)

1863年入定。
若いころに病気と飢餓のため盲目となります。自らのせいで家族を苦しめていることを悔いて仏門に下り、やがて上杉家の病気平癒を依頼されるほどの僧侶となりました。

廃仏毀釈等の関係で開山は叶わず、上人の子孫の方が個人で祀っています。そのため拝観の際には事前の連絡が必要です。

明寿院へのアクセス

まとめ

未来永劫の人々の安寧を願って生きながら仏となる道を選んだ即身仏。

イメージだけだと少し恐ろしいかもしれませんが、実際にお会いすると不思議と優しく見えて安心したなんて感想もよく聞きます。山形県に来た際はぜひ即身仏をお参りしてみてください。

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ヤマログ編集部です。 メディア運営経験者で構成された精鋭メンバーです。記事の企画・公正・リライト・取材時の応対などを行っています。